インダス文明 (インダスぶんめい、Indus Valley civilization) は、インド・パキスタンのインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明で、現在南インドを中心に暮らしているドラヴィダ人によりつくられたと推定されている。考古学上は、ハラッパー文化と呼ばれ、パキスタン、パンジャブ州のハラッパーを標式遺跡とする。
インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。滅亡については諸説あり、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説と、後述するように砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住したという説がある。
また、ドラヴィダ人は、紀元前13世紀に起きたアーリア人の侵入によって、被支配民族となり一部が南インドに移住した。
文明の存在が認識されるようになったのは比較的遅く、イギリス支配下の19世紀になってからのことである。1826年に探検家のチャールズ・マッソンがハラッパーにある周囲約5kmに及ぶ巨大な廃墟について報告し、「紀元前326年にアレクサンドロス大王を撃退したポルス王の都シャンガラの跡ではないか」と推測している。1831年にもアレクサンダー・バーンズが調査中同地を訪れ地元の人から廃墟にまつわる「神の怒りによって滅んだ」との伝承を紹介し、本国イギリスで考古学的好奇心を大いに刺激するようになる。イギリスは既に18世紀に「アジア協会」を設立しており、任地インドに赴いていた元軍属のアレクサンダー・カニンガムが同協会の元でインド(及びパキスタン)考古学の基礎を築くことになる。カニンガムは1853年・1856年に最初のインダス遺跡発掘となるハラッパー遺跡の発掘を行い、未知の文字が書かれた印章・土器などが出土した[1]。
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カニンガムは1862年、インド考古局の発足に尽力し初代局長となるがこの頃から鉄道敷設のため遺跡の建材を崩されてしまう課題に取り組まねばならなくなっていた。その後も第3局長ジョン・マーシャルらによってインダス文明の研究は発展していくこととなる[2]。
鉄は知られず、青銅器を使った。都市計画で知られるように建築技術が発達し、縦:横:厚みの比4:2:1で統一された焼成レンガが広く使われている。服は染色された綿で作られていたようで、染色工房と推定される場所が見つかっている。高い加工技術を要する極小のマイクロビーズや紅玉髄の装飾品も作られていた。